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散・歩。。 [Nikon D300]

      カシャッ
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散歩は近代になってから始まったという説があるらしい。それ以前の人たちは散歩をしなかったというのも不思議な話に思えるが、まぁ、歩くこと自体を楽しむ習慣は、それほど古い歴史があるわけではないということだろう。
古代ギリシャにペリパドス学派という言葉があるが、このペリパドスとは哲学者たちの思索と対話の時間であって、単にぶらぶらと散歩していたわけではない。ちなみに日本で最初に「近代的な」散歩をしたのは福沢諭吉であるといわれ、着物の裾をからげた独特の散歩スタイルの写真が残されている。

偉人に比べるのもおこがましい話だが、私も結構、散歩好きの部類に属する。幸か不幸か、歩きながら哲学するほどの知力には恵まれていないから、一応は近代的な範疇での散歩といえるはずである。だが純粋に楽しむための散歩かというと、どうもあやしくて、原稿を書きあぐねているときや難しい本を読むのに苦労していときの気分転換という、いささか姑息な理由で外に出るに過ぎない。だいたい近代人が散歩を始めたというのも、忙しい都会生活のストレス解消とか、あるいはダイエットのためとかいう優雅ならざる動機があったはずで、゛純粋な散歩゛などというのは単なる理念上の話に過ぎないのではないか。

・・・略・・・

気分転換だけなら歩く以外にもいくらでも方法がありそうだが、経験的にいってジョギングや水泳は考えごとに向いていない。自転車も良さそうでいてダメである。私は歳に似合わず派手なロードレーサーをもっているのだが、運動のリズム感が違うからか、あるいはスピード出過ぎるせいか、ペダルを漕ぎながらでは、まとまったことは考えられないのだ。機械的に足を運ぶ一歩、一歩の歩調こそが、思考のリズムとうまくシンクロしているようなのである。散歩の途中で急に言葉が溢れてきて、忘れぬうちにと通りがかりの喫茶店に飛び込み、コースターの裏に書き付けたなんていうこともたまにある。少しアルコールが入った方が筆が進むという同業の友人もいるが、どうだろうか。飲むと気がゆるんでしまうので私には禁物である。やはり歩くことに若(し)くはない。一人だけでできるし、時間と場所の制約も少なく、第一、元手は一銭もかからないのだ。

・・・かなりの行を略(笑)・・・

ところで、散歩の散の字は無用・無価値の意だが、白川静の字統によれば、もともとの語義は筋腱の固い肉を撃って柔らげることとある。そんな肉は美味ではないから無価値とされたのだが、不味い肉ならぬ、哀れな固い頭を撃ちほぐして、多少なりとも柔らかくすることが散の字であるとするなら、我が散歩は、字源通りの由緒正しい散歩と言えぬこともあるまい。


以上、日経8月9日付け文化面から、題・新幹線と散歩、から。
建畠 哲氏・(詩人で美術評論家、国立国際美術館館長)のお話でした


日経って普段生々しい記事ばかりなのですが、土・日の記事は読みごたえがあって好きなんです(笑)。


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ジョルノ飛曹長

確かに昔の人は歩かないといけない状況でしたからね。散歩なんてものは無かったのでしょうね。^^

by ジョルノ飛曹長 (2009-08-10 22:41) 

hoppe

ジョルノ飛曹長さん
そう言われればそうですよね。。
大きな街に行ったときの楽しみの一つに看板・広告を見て歩くのが好きで
中々地元では見られない謳い文句なんかあってブラブラ歩くのが結構楽しかったり(^^♪。。
by hoppe (2009-08-11 19:56) 

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